日時:平成31年2月23日(土)午後6時〜8時30分 場所:小梳神社・社務所 内容:「圓平人形」について 話し手:山梨 博康 会長
1.大正期、日本人陶芸家が満洲に疎開し、昭和初期に満洲風俗人形「圓平人形」を販売し名物になるまでの話をしました。
@作者の遍歴 作者は初代 小倉圓平(明治20年10月生れ〜昭和24年9月没)で淡路島に生まれた。 明治43年淡路製陶株式会社画工部に勤務する。 大正10年 満洲奉天(現在の瀋陽)の東亜煙草の図案部長に就任する。 奉天市常磐町の自宅内に作業場「圓平陶苑」を築き、満洲風俗人形(圓平人形)を作成し、満洲美術展覧会で金賞一席に選ばれる。 昭和5年 東亜煙草を退社する。 人形作家として生計を立てていく決心をした。 ほぼ同時期に奉天市浪速通りに転居し、趣味の店「圓平人形」を開店する。 「人形屋圓平」の誕生。 昭和9年頃 新京大興公司の後援により、新たな作業場「満洲郷土芸術研究工廠」「圓平陶苑」を築く。この頃から圓平人形の本格的な生産を始める。 その結果、圓平人形が量産され、満洲名物の土産として位置付けられるようになった。 自作の「白塔」が奉天公署から秩父宮殿下に献上される。 昭和12〜14年 奉天郊外の渾河(こんが)に新たに「圓平陶苑」を築く。 昭和15年11月 2600年の奉祝に満洲皇帝の宣統帝溥儀から天皇家へ満洲土産として圓平人形が選ばれた。 昭和21年夏 終戦に伴い満洲から引き揚げ、洲本市千草に移り住み、裸一貫で圓平窯(圓平陶苑)を再び開窯した。 昭和24年9月 死去、享年61歳。 【参考文献】「故郷の名陶 初代・二代小倉圓平展」(淡路市立淡路文化史料館発行)
A人形の特徴 ◆作風は彫塑的、肉厚であり重量感が有る。(写真参照) ◆作品の背面や底部に作者の「円平」「円平人形」「円平造」の刻印が有る。 ◆「圓平人形」・「満洲風俗人形」と書かれた箱に入っている。 ◆種類は多く満洲の街角で見る商人や(写真参照)、駅の搬荷夫等が多い(写真参照)。
B三代目 小倉圓平氏より 1930年(昭和5年)頃、奉天市内に「趣味の店 圓平人形」を開店し、圓平人形やその他陶器類を製作・販売した。 現地在住の日本人のみならず、内地から来た観光客にも好評を博したと言う。奉天市渾河に二千坪の土地に工場とアトリエがあった。 満洲を旅行した日本人が購入した物が現在、日本にある。 満洲のみで販売し、戦後、日本に帰国してからは人形の製作していない。
C天理大学附属天理参考館より 昨年、7月に天理大学附属天理参考館にて、第82回企画展「中国の風俗人形」を開催した際、三代目 小倉圓平氏が館を訪問した。 天理大学附属天理参考館 学芸員の中尾徳仁(のりひと)氏が例会に出席。
D参考書籍関係より
E長崎焼人形との類似性
2.連絡事項 ・役員会議 3/17(日)午後6時〜アイセル21 1階11号室 ・編集会議 3/1 ・旅行の件 最終的に8名で山形県へ行きます。
3.即売会・抽選・入札 今月の即売品は相良、今市・弓野の大型土人形、豊橋・八栗・沖縄張子等。 抽選品は無し、入札品は青森土人形「牛乗り童子」(福原英次郎作)(写真参照)・静岡張子「達磨持ち」(杉本栄司作)の2点でした。
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