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綱引競技のルーツ
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「綱を引く」という行事は、世界の各地で古代より儀式と信仰から始まり、豊作を祈る行事、争いを鎮める手段、領土を獲得するためのものなど、世界各地でさまざまな形態として見ることができる。
最も古いものはビルマ、インド、ボルネオ、朝鮮といったアジアの国々や、ハワイ、ニューギニアといった国で見られ、そこでは有史以前から神秘的な力の象徴として、葬儀での善と悪の闘い、季節と天気の占い、すなわち豊作を祈っての神事として部落の間で行われていた。
「綱引き」はまた、アフリカ(コンゴ)、アメリカ(エスキモー)、オセアニア(ニュージーランド)などでも儀式として行われており、エスキモーの共同体では冬の訪れの予測のために行われていた。
「綱引き」の形態もさまざまで、アフガニスタンでは綱の代わりに木板を使っており、また多人数によるものばかりでなく、さまざまな国で1対1でも行われている。
日本での「綱引き」の歴史も古く、アジア諸国と同様、五穀豊穣や吉凶を占う儀式として各地で行われており、現在も日本各地で伝統行事としてさまざまな形態の綱引きが数多く行われている。
有名な綱引きとしては、秋田県の「刈和野大綱引」、佐賀県の「呼子大綱引」、鹿児島県の「川内大綱引」などは、いずれも豊作、豊漁を占う催事として行われている。
また、沖縄県の「那覇大綱挽」は力を競い、「糸満大綱引」は疫病など払い除くために、「与那原大綱曳」は無病息災、五穀豊穣、子孫繁栄を願う神事とて行われている。
「沖縄県:那覇大綱挽」
「沖縄県:与那原大綱曳」
神話の世界にも「綱引き」は登場し、出雲風土記の「国引き」伝説がよく知られている。
競技(ゲーム)として行われたものとしては、飛鳥・奈良時代の蹴鞠、打毬、投壺といった貴族の遊戯に端を発し、鎌倉・室町時代に入って庶民の遊戯が盛んとなり、首引き、指引き、腕押しなどとともに遊戯として「綱引き」が行われるようになった。
この様子は、室町時代の作品「洛中洛外図」や名古屋城の襖絵などにその情景が描かれており、庶民の遊戯として親しまれていたものと思われる。
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綱引競技の歴史
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●世界の綱引競技
現在では、「綱引き」はもはや儀式とは関係なく純粋な運動競技として発展しているが、「綱引き」がスポーツ(ゲーム)として最も古く行われたのは、紀元前2500年もの昔に遡り、エジプトのサッカラの古墳の壁に彫られているものが発見されている。
紀元前500年頃にはギリシャで他のスポーツの体力訓練としてまた競技スポーツとして行われていた。
西ヨーロッパでは、西暦1000年頃に、「力の試合」といわれる競技として行われ、この競技にはスカンジナビアとドイツの英雄のチャンピオンが参加している。
12世紀には中国の皇帝の宮廷で競技が行われ、13,14世紀にはこの競技の形態が、蒙古やトルコにも見られる。
15〜16世紀には、フランスやイギリスに綱引競技のトーナメントが現れ、スポーツとしてのルールが注目されるようになり、競技チームの体重が同じ若者から選ばれるようになった。
近代オリンピックでも、第2回パリ大会から第7回アントワープまで、「綱引き」がアスレチック競技として行われていたが、拡大化したオリンピックの縮小化運動により姿を消した。
しかし、ヨーロッパを中心に綱引競技はその後も盛んに行われ、1960年に国際綱引連盟が設立され、統一されたルールのもとに国際大会が開催されるようになった。
その後、アウトドア及びインドア両方で2年毎に世界選手権が開催されるとともに、ワールドゲームズでも第1回大会から正式種目として採用された。
更に、2002年に国際綱引連盟(TWIF)が国際オリンピック委員会(IOC)に正式加盟したことから、オリンピック競技復活への期待が高まっている。
「1988年 アウトドア・世界綱引選手権大会」
●日本の綱引競技
日本でのスポーツとしての「綱引き」は、明治以降国内各地で行われるようになった運動会の普及とともに、その種目として現在まで広く行われており、明治13年には明治天皇が吹上御所で近衛兵による「綱引き」をご覧になったということが、明治天皇行幸年表に記録されている。
現在の競技スポーツとしての「綱引き」は、1980年に日本綱引連盟が結成され、国際連盟の正式ルールによる綱引競技を取り入れ、1981年2月、東京在住の県人会を中心に第1回全日本綱引選手権大会として、東京・晴海の国際貿易センターで開催された。
この大会は、全国にテレビで放映され大きな反響を呼び、わが国における綱引きブームの発端となった。
その後、毎年全日本綱引選手権大会を開催し、テレビ放映の影響もあって僅かの期間に急速に普及した。
現在では全国各地の市町村、都道府県でも盛んに綱引大会が開催され、全日本綱引選手権大会の優勝チームは世界綱引選手権大会にも出場して好成績を納め、海外からも高い評価を得ている。
「1999年 インドア・世界綱引選手権大会」
日本の綱引競技は室内で実施するインドアが中心であったが、2001年より第1回目の全日本アウトドア綱引選手権大会が開催されるようになり、世界のアウトドアへの挑戦がスタートした。
2001年から開催された日本スポーツマスターズでは、第1回目から正式種目として採用されたが参加チーム数の減少から2004年の福島大会を最後に姿を消した。
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綱引競技の方法
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綱引きは誰もが知っているスポーツですが、厳格な体重制によるクラス分けや競技中の複雑なルールがあり、高度なテクニック、パワー、体力、チームワーク、そして忍耐力などの精神面での要素が重要な競技である。
綱引競技は1チーム8人で行われ、チームウェイトはクラス別に実施される。
競技は時間制限がなく、相手チームを4メートル引き込んだ方が勝者となる。
日本ではインドアが中心で、専用マットの上で靴底が滑りにくい綱引専用シューズを履いて行なう。
試合時間は殆どが数十秒から3分以内で勝敗が決まるが、4分を越える大勝負もある。
「2000年 全日本綱引選手権大会」
欧米ではアウトドアが盛んで、平坦な野芝に踵に金属のプレートをつけたブーツで足がかりを作りながら引く。
「1988年 アウトドア・世界綱引選手権大会」
競技では選手をプラーと呼び、一番後ろの選手をアンカーマンと呼ぶ。
リレーのアンカーが語源となっている。
アンカーマンは一回だけロープを体に巻くことが許され、チームの要となる重要な役割を担う。
ロープのラインがトップからアンカーマンまで、真っ直ぐに保たれているかどうかが大きなポイントになる。
競技中における反則行為としては、シッティング(故意に地面に座り込む場合)やロッキング(膝や腕を使ってロープが自由に動かないような持ち方をした場合)など11項目の反則行為があり、審判の指導
にもかかわらず反則行為が是正されない場合には、3回の反則で負けが宣告される。
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Tug of Warの語源
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ロープを引っ張る競技は、英国でタッグ・オブ・ウォー( Tug of War )と名付けられ、スポーツとして行われるようになったが、この Tug
of War の名称は、war(戦争)という適切でない語を含まれ、その名称と意味の由来が疑問である。
しかし tug は、中世の英語 tuggen からきた語で、古代スカンジナビア語の toga が語源で、引きずることや、引っ張ることを意味する。
また war は、中世の英語 werre からきた語で、古代ドイツ語の werra から起こり、闘争という意味で、この「闘争」という語の語源をたどると、試合や競争という意味がある。
このことから、Tug of War の意味は「偉大な力と不屈の努力で引っ張る競技」で、現在のスポーツとしての綱引競技(Tug of War
sport )のはっきりした定義となっている。
日本で綱引きを「綱引競技」とあえて「競技」という語を使うようにしているが、国際綱引連盟でも" Tug of War sport
" と、あえてSPORTを加え、スポーツとしての綱引きを強調している。
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オーエスの語源
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綱引きの「オーエス」の掛声は、その由来についての明確な証拠はない。
日本で綱引きが運動会の種目として行われるようになったのは明治初期で、英国人の指導によるものだったようである。
当然この頃は外国人との交流も行われ、一緒に運動会を楽しんだと推測される。
外国人により伝えられた運動会の中で、チームの呼吸を合わせる為の掛声が日本人に「オーエス」と聞こえた事から、 綱引きの掛声として定着したと思われる。
ポルトガル語とかスペイン語だったという説や、最近ではフランス語の「オーイス(Oh, hisse)」に由来するという説もある。
「hisse」:(帆や旗などを)揚げる・巻きあげる
日本の「そーれ」とか「せーの」といった掛声と同様、意味のある言葉ではない。
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